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2008年5月

2008年5月21日 (水)

太郎助のコーナー第十回

「武勇・仁義の人 中川清秀」⑧


《清秀、茨木城主となる》 熊野田千助奮戦す!

明けて二十九日、勢いに乗った荒木勢は軍評定を開き、先の白井河原の合戦で討ち死にした茨木佐渡守の居城である茨木城を攻めることにしました。

『この度の清秀殿の武勇は抜群である。攻め取って居城とするがよい。』


と村重は言いました。さっそく清秀は手勢の編成に取り掛かりました。

 九月一日の暁、郡山を出発した清秀軍に近郷の領主が味方に加わりました。

下村市之亟、熊野田孫七、鳥飼四郎太夫、山脇源太夫、太田平八、粟生兵衛尉、戸伏一族各手勢を引き連れて合流します。

これに対し、茨木方は太田郷の山々、西の尾根伝いに布陣し弓、鉄砲を撃ちかけ激しく抵抗しました。

しかし、先鋒隊熊野田千助に加勢の軍勢も加わり、鉄砲隊を先頭に即座に追い払い競い合って進軍します。

熊野田孫七、森田彦一郎は地蔵峠(現:千里丘陵付近)より、手勢を引き連れ、西南よりせめかかります。茨木方の水尾図書助(ずしょのすけ)、倉垣宮内少輔(くないしょうゆう)は激しく抵抗するも、先鋒隊は中川家でも一騎当千のつわものたち。たちまち二将は討ち取られてしまいました。

熊野田千助は勝どきを上げ、真っ先に茨木城に進撃しました。茨木勢は悉く城内に引き上げていきました。

熊野田孫七、森田彦一郎は城下に押し寄せ、木戸を打ち破って茨木の町に攻め込みました。城兵も出撃し、必死に防戦しましたが、熊野田千助が先頭に立って槍を振るうと、これを見た味方の将兵は奮い立ち、たちまち外郭を打ち破って、城の大手の虎口(現:茨木市元町)に迫りました。しかし、佐渡守の父翫月斎(がんげつさい?)は頑強に抵抗します。城兵と激しく戦ううち、千助は疵を受けましたが少しも怯みません。

槍を振るい、先頭に立って突き進んでゆきます。遂に三の丸を攻め落としました。この様子に二の丸(片桐町旧町役所跡)を守る城兵は戦意喪失し、城門を開いて降参しました。

翫月斎は本丸(現:茨木市片桐町茨木小学校)に立て籠もり、必死に防戦しましたが、夜になって城内から裏切り者が出て、茨木城は遂に落城したのです。

清秀は茨木城を手に入れ、六万石の大名になったのでした。

清秀はさっそく、戦で荒れ果てた城下の整備を始めました。そのとき、新庄の城からは清秀の徳を慕って多くの人々が移住してきました。そのため、その場所は新庄町(現在も茨木市にある)と呼ばれるようになりました。

【熊野田千助】

 名は資勝。摂津国熊野田(現:豊中市熊野町)の城主、熊野田隠岐守資利の嫡男。

姉は中川清秀の妻、稍(やや)。永禄年間(1558~69)に清秀の幕下(ばっか)に属し、日夜昵近(じっきん)してついに家老となる。後中川の姓を賜り、中川隠岐守となる。

※中川氏御年譜によると「千助以後、熊野田を熊田に略す」とあります。

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※ 豊中市熊野町の八坂神社。熊野田氏の居城があったとされる。


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2008年5月20日 (火)

『ひねもすちゃいな 徒然中国』を読んでいます

今 中国では1週間前の大地震で大惨事である
報道で当地の有様を見るにつけ阪神淡路大震災の当時を思い起こしながら心を痛めている。私も中国は好きで時々出かけて、日本文化のルーツを垣間見ているが・・・・・
ゴールデンウィークにありがたくもお送りいただいた『ひねもすちゃいな 徒然中国 』の本を読んでしまえると思っていた私の考えは甘かった。つい行事を先送りしたばかりに、例年の事ながら5月後半は大忙し!!
体力勝負で日々を過ごしている。どこへ出かけるのにも本を片手にして。

さて このブログでも大活躍のはらだ氏『ひねもすちゃいな 徒然中国』のご紹介です


 このたび『ひねもすちゃいな 徒然中国』というタイトルで以下の内容の本を自費出版しました。

 序文 遠見の人、そして―
      飄々たる文学青年      京都大学名誉教授 竹内 実
 プロローグ ひねもすちゃいなの回想記
 第一部 中国のきのう・きょう・あす  
第二部 あのとき・あのころ
 第三部 映画と小説にみる中国のいま 
 第四部 外地から中国をみる
 第五部 林住期への想い
 エピローグ ユメは中国をかけめぐる

2008年5月20日 初版発行 
著者・発行者 はらだおさむ (原田 修)
印刷所     (株)国際印刷出版研究所
         〒551-0002 大阪市大正区三軒家東3-11-34
         TEL 06-6551-6854  
         FAX 06-6551-0288


はらだ氏の人生の履歴書がこの本の中に集約されています。
読み進むうちに、丁寧に年代をおって書かれた文章のはしばしに中国への理解と思いとが淡々と描かれていて、この本はじっくりと読ませていただこうという気持ちになります。
中国との深いかかわりと、ビジネス、観光、そして人との付き合い方・・・・・面白いです。


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2008年5月 7日 (水)

お急ぎください!!

終了しました

シンポジウム「21世紀の博物館と考古学~文化政策の視点から」


来る5月17日に文化経済学会<日本>関西支部が下記のシンポジウムを主催します 期日がせまっておりますが、会員の皆様にご案内申し上げます。
会場は、最大400人可能ですが、標準で300弱です。現在すでに200人強の申し込みがきており、当日申し込みも含めて満員が予想されます。10日が締め切りですので、お早めにお申し込みください。

※当日の配付資料の関係上、事前申し込みの方々を優先致します。

シンポジウム「21世紀の博物館と考古学~文化政策の視点から」

■開催日:5月17日(土) 午後1時30分~4時30分
■場 所:大阪市天王寺区民センター 講堂
      大阪府大阪市天王寺区生玉寺町7?57   
         06-6771-9981
  地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘」下車 徒歩1分
主 催:文化経済学会〈日本〉関西支部
共 催:日本文化政策学会、日本考古学協会、日本博物館学会、
大阪府の博物館を支援する会
内 容:
・基調講演 「博物館・考古学は、なぜ大切なのか」
    金関恕・弥生文化博物館館長(考古学) 
・基調報告 「博物館をめぐる諸問題」
    矢島国雄・明治大学教授(考古学、日本博物館学会総務委員、
    日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会副委員長)
・基調報告 「博物館・遺跡とまちづくり」
    佐古和枝・関西外国語大学教授(考古学、
日本考古学協会理事)
・基調報告 「大阪府の埋蔵文化財保護を考える」 
    岸本直文・大阪市立大学准教授(考古学、
元文化庁記念物課調査官)
・基調報告 「自治体文化政策の視点から」 
    中川幾郎・帝塚山大学教授(日本文化政策学会会長、
文化経済学会〈日本〉理事、関西支部長)
◎シンポジウム
   コーディネーター:中川幾郎
   パネリスト:基調報告発表者4名
     松本茂章・高知女子大学教授(文化経済学会〈日本〉 関西支部事務局長、
日本アートマネジメント学会関西部会長)
■参加費 500円
■定 員 400名
■申し込み方法:FAX、メールにて、住所、氏名、電話番号、
(さしつかえなければ)所属を添えて、下記へお申し込みください。電話でも可。

ご意見があれば、書き添えていただいても結構です。
申し込み締め切り 5月10日(定員になり次第締め切ります)
■申し込み・問い合わせ先:
 〒541-0041
 大阪府大阪市中央区北浜1-9-10 5F 
   「ことえりサロン」内
 シンポジウム「21世紀の博物館と考古学」事務局 
     TEL.06-6202-2080 
      FAX 06-6202―2089
     メール:kotoeri@mist.ocn.ne.jp


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