徒然(つれづれ)中国(ちゅうごく) 其之壱
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時 は 春
ブラインドから差し込む日差しに思わず、ときははる、ひはあした、とつぶやいて、はて、これはと、階段のなかばで足が止まった。
時は春、日は朝(あした)、朝は七時、と浮かんで、続いていく。
この言葉は、どこで覚えて、いま口から出てくるのか。
調べてみると、上田 敏の訳詩、ロバート・ブラウニングの詩であった。
この半世紀、中国漬けであったわたしの頭のなかで消えていた記憶が、このところ思わぬところでひょこっと甦ってくる。この詩集は、たしか中学2年くらいのとき愛読したことがある。
時は春、
日は朝(あした)、
朝は七時、
片岡に露満ちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、
神、そらに知ろしめす
すべて世に事も無し。
これも老境に入る現象のひとつか。
先日観た中国映画「胡同の理髪師」に通じる思いでもある。
胡同(フートン)の理髪師
文革前、胡同に住む知人の四合院を訪ねたことがある。
住宅難の折から数世帯が住み、ひとであふれていたが、初対面のわたしにもにこやかな会釈が返ってきていた。
この映画はオリンピックをひかえ、近代化の波に押し流されている北京の下町を描き出しているが、そのことを声高に主張する映画ではない。新しい波が古いものを駆逐していくなかで静かに生き、死を迎える人びとの物語である。
主人公は93歳、現役の老理髪師のチン・クイさん。
今朝も6時に起きて、5分遅れの時計のねじを巻きなおし、コップの入れ歯を口にして、鏡に向かい銀髪に櫛を入れる。
きょうはこの時計を修理に出そうと、リアカーつきの三輪自転車で出かける。
終わり近くの場面でも、おなじようなシーンが出てくるが、内蒙古出身のハスチョロー(哈斯朝魯)監督はドキュメンタリータッチのなかで、ストーリーはきちっと計算して組み立てている。
チン老人はこの道80年の現役の剃頭匠、いまはむかしのおなじみさんだけを家庭に訪ねて仕事をしているが、その剃り具合の鮮やかさはわたしもお願いしたいほどの腕前。後半の場面で息子のマンションに引き取られたチャオ老人がダダをこねて息子にチン老人を呼びにやるのも無理はない。息子は孤老の親をいたわって引き取ったのではない、いずれ解体され、立ち退くことになっている住宅の補償金が目当て。クルマで送り迎えされたチン老匠は息子の差し出す200元の札束に見向きもせず、クルマを降りる。
チンさんのカレンダーには、週に2~3回の仕事の予定が書き込まれている。
午前中はなじみ客の理髪をし、午後は頭の運動にと気のあった近所の老人たちと麻雀卓を囲む。
きょうも先月「テレビばかり見ているとバカになる、麻雀でもしたら・・・」と忠告したミー老人宅に来たが、応答がない。猫の鳴き声・・・なかでは死後数日になるミー老人の傍で見守る黒猫がいた。遺体を運び出す救急隊員を見つめるチンさんとミー老人の愛猫。この3人の老人たちはすべて素人だが、役にはまっている。
三輪自転車を引いて帰るチンさんのリアカーには、この黒猫が鎮座していた。
地区の世話役(中年の女性)が、身分証の書き換えのため写真はあるかと訊ねる。今度の証明証は20年間有効よ、と念を押されて写真館に行くチン老人。
カメラの前で何度も櫛を入れるオシャレなチンさん。痩せ型の、彫りのある顔立ちは敗戦後北京から日本へ帰る女給さんに泣かれた(実話)というのも頷ける。
友人の孫が家に訪ねてきて、肖像画を描き始める。
うちの大学で画学生のモデルになってもらったら、理髪よりもいい収入になるよ、と薦めるが、相手にしない。
心の中まで描けた、いいスケッチが出来たよと、あとで届けられた自画像(複製)を時計の下に飾って、テープレコーダーに自分史を語り始める。
けさ6時前に時計が止まって寝過ごした。
時計店へ修理に出そうといつもの道を走っていると、目の前が暗くなりボヤける。立ちくらみの症状、わたしも昨年経験した。チンさんは自転車を道端に停めたまま歩道の片隅に座り込む。一瞬これでジ・エンドと思うことしばし、と、つぎのシーンは人通りから少し離れた堀端(北海公園の南?)の木陰で髪を刈ってもらっているチンさんがいる。いつも通りすがらに見かけるあの同業者にだ。
次のシーンは公衆電話で話をしているチンさん、手になにやらチラシを持っている。相手は葬儀屋らしい、遺影、死装束、500字程度のプロフィール・・・、葬儀の前に用意するものを教えてもらっているようだ。
そうか、テープに500字のプロフィールを吹き込んでいたのか。これだけしゃべると誰が500字にまとめる?
しゃべり疲れてウトウトとしたチンさんの鼻の前で、黒猫がなにかをひっかき、あっテープ、それはダメだよ、と思うもつかの間、猫はじゃれてテープを
引きずり出してしまう。
翌朝、チンさんはベッドのなか。
いつも無心に来る病身の息子が部屋に入ってくる。
遺影を見ておどろき、あわててベッドの布団をめくり上げる。
起き上がるチンさん、ベッドの下から紙箱を取り出し10元札の束を伸ばして渡そうとするが、きょういい、孫が出来た、あんたの曾孫の誕生を知らせに来たんだ、とあたふたと出て行く。
胡同の向こうの空に、高層ビルが立ち並び、クレーンが動いている(ジ・エンド)。
人は老い、この世を去るが、少子化の社会は衰え、活力をなくす。
日本だけではない、中国も高齢化が急ピッチで進んでいる。
「北京五輪」にこの「高齢化問題」を掛け合わせた監督の視点は鋭い。
ときは春だが、木枯らしの舞う冬は確実にやってくるのである。
(08年3月30日 記)
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