(今年8月8日からの北京オリンピック開催に向けて
はらだ氏からのメッセージです)
2008年8月 アジアで東京、ソウルについで3度目のオリンピックが北京で開催される。東京でもソウルでも五輪開催は経済活性化の起爆剤であったが、閉幕後はその反動で不況の嵐に巻き込まれている。
北京五輪の場合は、どうだろうか。
すでに競技場のほとんどは出来上がり、メインスタジアム「バード・ネスト(鳥の巣)」も3月には完成、周辺アクセスの整備に入るという。
日本からも野球やサッカーなど参加競技のチーム、選手が次から次へときまってきており、これから本番へ向けて「北京五輪」のニュースフラッシュが続く。その話題のひとつが、北京の大気汚染のことである。
北京の空は青かったのか
トウキョウ・オリンピックは1964年10月10日開幕、新幹線は10月1日
東京―大阪間が開通している。
わたしはこの年 はじめて訪中して、2月から4月にかけて70日ほど北京に滞在した。
冬の北京はスモッグで覆われていた。
昼間でも市内を馬が荷車引いていた当時のこと、クルマは数えるほどであった。スモッグの原因は、練炭・豆炭の熱エネルギー、特に暖房には低質の石炭・粉炭が使用されていて、外出にはマスクがいるほど粉塵が舞っていた。
楊にみどりのふくらみが見えてくると今度は西から砂塵が降りかかる。
北京秋天の、突き抜けるような青空を見たのは、それから数年後のこと。
北京に事務所を設けて、ひんぱんに出かけた70年代のはじめ、秋から初冬にかけての晴れた日には、故宮や天安門広場では澄みきった青空を見ることが出来た。しかし、その青さはいま散歩途上で見る自宅周辺の空の、吸い込まれるようなものではなかったように記憶する。この日本の空の青さ、それは、われわれが闘い、実現してきたものである。
むかし阪神地区は京浜工業地帯と同様“煙のみやこ”と呼ばれ、それは産業興隆の証として、むしろ自慢にされていた時期もあった。
しかし工場廃水を原因とする水俣病(1956年)の発生で公害反対運動が高まり、市民とメディアの関心は大気汚染にも注がれる。四日市喘息(1961年)から光化学スモッグ(1962年)に至る過程で、その発生源の捕捉をめぐる自治体など監視側と企業とのシーソゲームが展開されるが、世論の厳しい追及とそれを裏付ける監視機器の性能の向上で、大気汚染防止機器の開発が進む。
ヘドロの川に鮎がもどり、スモッグの空がいまの吸い込まれるような青空に回復したのは、日本の市民運動を支えたメディアの力であり、それをビジネスとして結実させた日本の企業の技術力の成果であった。
北京に青空は戻るか
北京市内は西から北にかけての山なみで取り囲まれている。
高層ビルがふえ、経済の活性化で人口が増えはじめた80年代のはじめごろから市内の風通しが悪くなり、どんよりした灰色の日が多くなる。
これに追い討ちをかけたのが、クルマの増加。
88年に北京の保有台数は40万台をこえ、中秋の名月がきれいに見えない、北京の空は青くない、との認識が広まるが、この時期まだ政府の大気汚染対策はない。
98年11月、わたしは北京飯店貴賓楼で開催された国際会議に出席していた。
休憩時間にバルコニーに出て驚いた。
眼下の中南海が靄でけぶって見えず、鼻を突く排気ガスの異臭に思わずせきこんだ。中国側のスピーカーのひとりに問いただすと、来年(99年)1月から
排ガス基準に達しないクルマの市内乗り入れは禁止される事になった、われわれ市民も被害者、との説明であったが、この10年間、大気汚染対策に真剣に取り組まなかった当局に対する非難の言葉はなかった。
この年クルマの保有台数は140万台に達していた。
北京市では98年から大気汚染情報を毎日出しはじめた。
なんでも計画とその達成率の向上に関心が行くお国柄、98年を基準に毎年その成果が公表される。人民網(2007年11月2日)はつぎのように伝える。
「北京市環境保護局は1日、10月の北京市で大気環境レベルが目標値に達した日数は26日を記録(月全体の83.9%)し、2000年以降で同期最高水準だったことを明らかにした。今年11月1日までで、大気環境レベルが『2級(良)』以上の日数は、昨年同期よりも9日多い213日(全体の69.8%)に達し、通年目標の245日まであと32日となった」
結構なことであるが、観測地点がどこなのか。北京市には郊外の万里の長城―八達嶺までが含まれていることを思い出していただきたい。
北京在住の駐在員はブログでつぎのようにレポートしている。
「10月は比較的青空の日も多かった北京ですが、昨日(11月24日)と今日は、相当にひどい大気汚染です。太陽や月は見えているので雲があるわけではないのですが、空全体が白くもやっている感じです。『この大気汚染の原因がスモッグだ』とわかるのは、外に出ると実際にかすかに煙の臭いがするのを鼻で感じることが出来るからです。・・・環境保護総局のホームページによると、今日の北京の空気汚染指数は『中度重汚染』だとのことです。昨日の方がひどかった気がするのですが、なぜか昨日は観測データが欠測になっていて数値が発表になっていません」(イヴァン・ウイルのブログ「スモッグの季節:きょうの北京は『中度重汚染』、2007年11月25日)
クルマの保有台数は、2007年6月東京を追い越して300万台となり、1日千台以上のペースでいまも増え続けている。
北京五輪の開催に向けて
北京五輪組織委員会は10月25日~27日、北京で「スポーツと環境世界会議」を開催、「123億ドル(約1兆4千億円)を投じた取り組みにより、大気汚染問題は確実に解消されつつある」とアピールしたが、読売新聞はつぎのように報道している。
「26日の北京市内は、地元で『霧』と呼ぶ濃い靄(もや)に、スッポリ包まれた。重い空気はのどに不快感を感じさせ、地元紙によると、市内の病院では、呼吸病患者の来院が通常より1割以上増えた。5段階の大気汚染指数も当然、悪化。そんな空の下で、スポーツと環境を論じる会議が行われた。
会議を共催した国連環境計画(UNEP)は『汚染物資の減少は認められるが、人体に悪影響を及ぼす粒子状物資は世界保健機関基準の2倍以上になる』と指摘する」(2007年10月29日 北京・竹内誠一郎)。
グーグルで「日本オリンピック委員会 北京五輪 大気汚染対策」と検索すると、この記事を含め676件が出てくる。その1ページ目にはこの記事のほか
「北京五輪で世界新は無理!?」、「10数カ国が日本で合宿へ」、「北京オリンピックは大丈夫?」などが出てくる。
国際五輪委員会(IOC)はこの問題をどう見ているのか。
開幕一年前のカウントダウン式に出席したジャック・ロゲ会長は、一部競技(6時間も戦い続ける自転車競技など)の開催延長もありうると発言。
北京五輪組織委員会はこれに反論「きれいな空気のなかで選手たちに競技してもらう自信がある」とアピールした。
国家体育局副局長で五輪組織委員会執行副主席を兼ねる于再清氏(元上海太極拳協会)は、先日の日本訪問でつぎのような対策を披露している。
①エネルギー構造の調整。石炭ボイラーを電気、ガス、オイルなどのボイラーに換える ②汚染物資排出企業の移転または設備・技術の更新 ③自動車の排ガス対策 ④五輪期間中、一切の建築現場の操業中止(人民網11月16日)。
それでダイジョウブなの、と問いかけるわたしに中国の友人はつぎのようなエピソードを紹介してくれた。
1999年10月1日は中国の建国50周年の記念日。
この日江沢民主席(当時)が天安門広場に通じる長安街をパレードするとあって、一ヶ月前から人工雨を降らせたり、周辺の工事をストップ、散水車を日に数回も走らせたりして、久しぶりの青空、すがすがしい北京をつくり出した。
中国人は目標を設定して、やると決めたら、絶対にやり遂げるのよ、とのことであったが、この一過性の北京の青空、ことが終われば元の木阿弥。
今回も大会期間中の北京市内への交通規制(100万台締め出しのため地下鉄とバスターミナル16箇所に大駐車場の建設)や建設工事のストップなどでクリアしようとしているが、果たしてどうだろうか。
前述のイヴァン・ウイルさんは次のようにも書いている。
「北京オリンピックは夏なので、暖房用に焚く石炭の煙はないし、一定の大気汚染対策はなされるようですので、たぶん問題はないでしょう。しかし、オリンピックがどうのこうのという前に、一般市民の健康のことを考えたら、この大気汚染については、真剣に考える必要があります」
日本の青空は、60年アンポから70年にかけての日本の民主化運動のなかから取り戻したものである。
中国のメディア管理は厳しく、市民は「上訴」でしか自己主張していないが、それでは政治を変え、青空をとり戻すことは出来ない。
「失地農民」の造反有理の自己主張は、北京市民の大気汚染対策にも生かされなければならない。
朝夕のジョギングで新鮮な空気を胸いっぱい吸い込みたいと願うのは、イヴァン・ウイルさんひとりではない。
(2007年12月13日 記)
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