ネットサーフィン
わたしのパソコン歴は、10年足らず。それまでのワープロにメールが増えた程度で、ブログはもちろんパソコンで音楽を聴いたり、映画を観るなんてとんでもない話。それでも、ときおりネットサーフィンをすることがある。 サーズが発生したとき(03年春)、ミシン部品訪中団の出発の数日前であった。
現地の手配はすべて完了、新聞の報道に驚いて上海に電話すると当地は無関係、まったく影響はありません、安心していらしてくださいというが、参加メンバーからの問い合わせが殺到、外務省からも渡航自粛の要請が来る。
このときが、わたしのネットサーフィンの初乗りとなった。
わたしは情報を求めて、上海市人民政府のホームページを開き、衛生局の通達と市民への注意の呼びかけをチェック、現地の各種ウエブサイトを閲覧、駐在員のホームページなどもサーフィンした結果、上海周辺は安全だろうが台州までの移動空間を考えると、突如なにかのきっかけで事故が発生した場合、これは対処しきれぬだろうと判断、訪中団の派遣を中止したのであった。
その後も日本のメディアでは知りえぬサーズ情報を求めて、ときおりサーフィンを繰り返していたが、6月に周正毅事件の発生をキャッチした。昨年の上海疑獄―“陳良宇上海市第一書記の逮捕”につながる伏線である。
周正毅事件についての詳細は、2005年掲載の「上海にみる中国のきのう・きょう・あす」でとりあげたので再述しないが、このはじめてのサーフィンでネット情報が時には再読できないことを経験した。削除されているー検閲があることの発見であった。
二度目のサーフィンは、2004年の8月。
サッカーのアジア・カップにおける反日暴動のときであった。
このときの中国のサッカーフアンの行動は、来夏「北京五輪」の主宰者である当局にとってもいまだ不安のタネであろうが、わたしにとっては彼らの群集心理がどのようにネット上に反映されているのか知りたくてサーフィンをしたのであった。そのいきさつは本紙の寄稿58号で「いま 中国のインターネットで・・・―検証 アジアカップ イン ベイジン―」と題してレポートしている。
このレポートでも紹介しているが、このサーフィンの検証の過程で、当時東大の大学院生であった中国人留学生・祁 景濚さんを知り、彼女の処女作「中国のインターネットにおける 対日言論分析 ― 理論と実証との模索 ― 」の書評も書いた。
このほど手にした三作目の「インターネットから見た 中国の対外言論 ― 対日米言論分析を焦点に ― 」は、彼女の卒業・博士論文をまとめたものであるが、そのあとがきでふれられているように、情報の収集には「健康管理、とくに酷使される目には優しいブルーベリーをたくさん食べること」とある。インターネットサーフィンを日常的に続けているその実態をかいまみる思いがした。熟年もはるかオーバーのわたしには、ネットサーフィンを日常的に続ける体力はない。彼女たちの情報収集と分析が頼り、である。
「北京趣聞博客(北京こねたぶろぐ)」
これは産経新聞中国総局(北京)福島香織記者のブログ名。
以下のコメントがついている。
「趣聞とは、中国語で興味深い話題、噂話。街角で拾った小ネタ、タブロイド誌の三面ネタなどを、関西風突っ込みを入れつつ愉快に紹介、中国ではやりの書籍、映画、ドラマなどの文化情報も」
双方向性の、読者とのやりとりもある。
わたしは月に一、二度のぞく程度の読者に過ぎないが、昨年6月の立ち上げですでに120万アクセス、このほどめでたくその一部がまとめて出版された、題して「危ない中国 点撃(クリック)! 福島香織の北京趣聞博客」。
わたしは産経からも、福島さんからも頼まれたわけではないが、そのブログの一読者として、一度はこのブログをのぞいてみられることをお薦めする、紙面に載らなかった(ボツになった原稿)も含め、中国情報の読み方として参考になること、請け合いである。
日の目を見なかった原稿の題名をいくつか拾い出してみよう。
・ 奴隷工場に人身売買
・ 反右派闘争から50年
・ 中国発南京事件映画、陸川監督に聞く
・ 安全性がいちばん(コンドームの販売合戦)
・ ちょっと不穏な毛沢東崇拝
・ 反日愛国青年の憂鬱
・ 中国は北朝鮮がき・ら・い
中国当局からニラマレルこともあるが、本人は心情的に中国好き人間、「逃げない、はればれと立ち向かう」(岡本太郎)を座右銘としている、とある。
10月12日の産経新聞(朝刊)一面に、「インターネットが変えたもの」の連載第一回記事が掲載され、その末尾に社告風に、今月から「MSN産経ニュース」をスタートさせたが、これを機に、ネットは世界をどう変え、人間の営みにどんな恩恵を与え、そして人間の価値観をどう変えたのかを・・・担当記者が伝える、と書いている。
その一番バッターが、福島香織さんの「大衆の声 意識する中国」であった。
メディア規制だけではなく、集会、デモなどの自由が制限されている中国で、いまや1.3億人を超えるネット人口―それも30歳代以下の、高学歴のひとたちが匿名性と双方向性を特徴とするネット上で、本音を吐露し、同志を募って意見を広め、不特定多数の人を現実の行動に駆り立てることが可能になっている。“ネット世論”は無視できない存在になってきているのである。
福島さんは、こうした中国のネット社会の動きについて具体的事例をあげながら紹介、共産党もこの対抗策としてネットを積極的に利用して党の政策を宣伝する動きを示してきており、双方向性のネット上で大衆が党の政策に本音をぶっつけて圧力をかけてくる可能性をも示唆して、つぎのように記事を締めくくっている。
「ネットが共産党を変えた、一党独裁を変えた、と記事を書く日が、さほど遠くない将来、来るかもしれない。そう思いながら、ネットサーフィンにいそしむこのごろである」
ネットサーフィンの先に
古い話だが、4人組が逮捕されたときのこと(1976年)。
北京市民は公式発表以前にこの「消息」を確認、トキの声を上げるメンドリ(江青)を罵倒、北京中の酒が無くなるまで痛飲したという(うわさ)。このはなしを、わたしは知人の大夫(診療所の医師)から公式発表直後に聞いた。はじめてのベトナム訪問から北京に到着したばかりのときであった。
かれは患者のひとりから、その数日前、“大夫(タイフ)”と、その“消息”を耳打ちされていた。公衆トイレで新聞で顔を隠しながら、隣の人から耳打ちされ、別のルートでその情報を確認したのだ、という。街道消息(口コミ)であった。
天安門事件(89年)直後の7月。
わたしは上海のタクシーのなかで、運転手がまったく日本語が出来ないのを確認してから、友人に事件後の上海事情のレクチャーをうけた。当時はホテル内にも私服が張り込んで、“お尋ね者”をウォッチしていた。まさに情報は口伝えで流れていたのである。
それから、10余年。
ネットで情報が飛びかい、レストランで気兼ねも無く、共産党批判の声を張り上げる。
これが中国のいまの姿である。
64年の初訪中時に、義父から中国は匪賊が出るからと注意されたが、国交未回復時の、竹のカーテンの彼方のこと、情報は極度に欠けていた。
いまは逆に、情報があふれすぎている。
今月末、はじめてビジネスで4年間北京へ赴任することになった甥からメールが入った。一度も中国へ行ったことがない彼からアドバイスを求められたのだが、仕事がらみの初歩的情報はネットサーフィンですでにキャッチしていた。わたしの初訪中時と比べると、あふれる情報の取捨選択は逆にタイヘンだろうが、我田引水はしないようにと、アドバイスするだけで十分。
従兄弟の長男も留学中に知り合った上海小姐と結婚して、現地採用で上海の日系企業に勤務している。
日中ビジネスは、わたしの身内にもこのように繋がってきているが、それもそうだろう、日本の第一の貿易相手国になった中国のこと、彼我の経済交流は不即不離の関係になってきているのである。
次の世代を荷負う若いかれらは、中国の青年同様ネットサーフィンは得意であり、情報収集に長けている。しかし必要なのは情報だけではない。日々の生活のなかで、ネットから離れたフェイス・ツー・フェイスの、血の通い合う付き合いが出来るよう、交流の輪を広げて欲しいと思う。
これがわたしから、若いビジネスマンに贈るメッセージである。
(2007・10・28 記)
最近のコメント